プロローグ
港町の土手を歩き家路を急ぐ、もう日が暮れかけている。
前から母が歩いてくるのが見えた、ボストンバックを抱えている、僕はどこかに行くのかと尋ねた。
一郎、良い子にして待っててね。
そう言い残し、母は足早に去っていく。
家に帰ると、父がいつもの湯呑みでお酒を飲んでいた、母さんどこに行ったの?
湯呑みのお酒を飲み干し、チラリと僕を見た後に一言、漁に行ってくると言い残し、父はいつものように首にタオルを巻きながら玄関を出ていった。
3日後、僕はお寺に預けられ小坊主になっていた、4歳の春の出来事だ。
大きな茅葺き屋根の本堂に朝の5時からお経が響いている、僕の仕事は4時に起きだし、本堂の前を竹箒で綺麗にすることからはじまる。
修行僧と一緒にお経を読み、朝食を食べる。
お粥に、たくあん3枚が朝食だ。
休む間もなく本堂に雑巾掛けをし、お昼を食べる、精進料理だ、お腹がいっぱいになったことはない、お昼寝をしトイレ掃除が終われば自由時間だ、僕は裏山にいきアケビを探す。
季節によっては野苺を探す、それが僕のおやつだからだ。
お寺に来て3年、僕の修行は突然終わった。
雪が降る、12月24日のホワイトクリスマスにサンタさんが僕にくれたのは、あたたかな家族だった。
1章 思春期
一郎〜配達に行ってこい。
作業場に親父の声が響く、わかった、これ終わったら行ってくるよ、人使い荒いなぁ〜とボヤいてると、隣でアレンジをつくる真希さんが、社長は専務のことほんと好きだねぇとニヤついてる。
えっ〜コキ使ってるだけだろう?
真希さんは期待されてるんだよっていうけれど、僕は家業の花屋に好きで入ったわけではなく、半ば強制的に入れられたのだ。
じゃ、配達に行ってくるよ〜。
スタッフのお姉様方が、は〜いと言って僕を送り出す、軽バンに花を載せて走り出す、今日はシュークリームかぁとため息を吐きながらつぶやく、3時のおやつタイムの買い出しは僕の担当になっていた、いつも、スタッフのみなみが13時になると僕の耳元でつぶやくのだ、今日はシュークリームがいいなぁ。
みなみとは高校1年から付き合って4年になる、卒業と同時にウチに就職していた厚かましい奴だ、学校から帰ると作業場で花束の練習をしていた、教えていた親父がニヤニヤしていたのを覚えている。
ただいま〜
店がざわついていた、母が泣いている。
すぐにばあちゃんが亡くなったと思った、予感は当たっていた。
お店をスタッフに任せて、父と母を車に乗せて京都に走った。
母は京都の宇治茶農家の娘だ、祖父母は生産から販売まで手がける卸でもある。
子供の頃、夏休みになると電車に乗って京都まで遊びに行った、京都駅には着物を着た祖母がいつも迎えに来てくれて、ご贔屓の喫茶店でアイスクリームを食べさせてくれた。
一緒にお風呂に入り、戦争の話や京都の歴史を教えてくれる、夏休みがいつも楽しみで祖父母が大好きだった、祖母は花道の家元でお弟子さんがいつも家に出入りして賑やかだった、優しく芯が強く、着物が似合う祖母が亡くなった。
ガンだった、お葬式の祭壇を僕につくるようにと言い残していたらしい。
祖母は百合が好きだった、花を差しながら涙が止まらない。
僕と祖母に血の繋がりはない、父と母もそうだ、僕は養子にもらわれたとき、祖父母は孫として受け入れてくれた、はじめて会った時の、優しい笑顔は今でも忘れていない。
盛大で淑やかな葬儀が終わった、祖父が僕を道場に誘った、お互い無言で防具を纏う。
道場に竹刀が交錯する音と、気合の声だけが響いている、じいちゃんが泣いている、僕も泣いた、ばあちゃんを想い泣いた。
翌朝、祖父が亡くなった。
布団の中で寝たまま息を引き取っていた、柔らかい顔のまま旅立った。
祖父は僕の剣道の先生でもあり、人生の道標でもあった、天真爛漫な人で、お茶目な慕われる爺ちゃん。
その破天荒は僕が小学5年生の時に祇園のお茶屋さんにデビューを果たしたことからもわかる。
ある時、祖父が一郎でかけるぞとタクシーに乗せられた、ついた先が祇園のお茶屋さん一力だ、もちろん小学5年生の僕にはそこがどんなところかなんて知る由もない。
ただ、ご馳走が美味しくて、芸舞妓に見惚れてるだけ、お茶屋のお母さんと芸舞妓さんにチヤホヤされてご満悦だった、家に帰ると祖母がどこ行ってたのと聞いてきた、僕は祖父の言いつけ通りにハンバーグ食べて、鴨川を散歩してたと話した。
それから僕は夏休みに祖父母の家に行く度、祖父に連れられて祇園に通ってた、ファンキーな祖父がなぜ子供の僕を祇園に連れて行ったのか、それは祖父の哲学で1流を知ることでしか学べないことがあるという考えで、祖父もまた曽祖父に祇園に連れられて学んだのだそうだ。
祖父の祭壇は父がつくった。
黙々と花を差していく、父と祖父は仲が良かった、お酒好きでよく飲んでいたのが懐かしい、祖父は酔うと決まってこう言うのだ、後継はお前だからな。
慌ただしい日々が過ぎ、10日ぶりに我が家に戻ると祖母から手紙が届いていた。
遺書だった、祖母らしい優しく思いやりの遺書だった、じいちゃんをよろしく頼むそう書いていた。
1ヶ月後、親族会議が開かれた、母は3姉妹でみんな嫁いでいる、祖父母の商いを継ぐ者がいない、創業350年の歴史に幕が下りた。
父はかなり悩んでたようだ、後継はお前だからな、祖父の言葉を受け止めていたのだろう。
悲しさや喪失感を抱えたまま1年が過ぎ、ようやく1周忌で心の整理がついた。
僕は祖母が愛した花を真剣に見つめるようになり、修行に出る決断をしたんだ、親父に一言TOKYOに行ってくると言った、返事は、みなみも連れて行けだった。
親父も祖父もファンキーだ、みなみはホイホイついてきた、ここにもファンキーがいた。
修行先は青山の一流店、挫折した。
レベルとスタッフの本気度に圧倒された、3年間踏ん張った結果、自信がついた、そして実家に戻り、みなみと結婚した。
母のお姉さんから、祖父母の家を取り壊すと聞いたので、5年ぶりに京都に行った、この古民家は築350年、江戸時代から続くお家だった。
子供の頃は女中さんがいてはって、食事もお膳だった。
五右衛門風呂は中学生の頃にボイラーのお風呂になったけど、井戸水でお風呂を沸かしてたなぁ、トイレは外の棟にあって夜中のトイレが怖くて祖母を起こしてた。
大きな古民家で人の出入りが多くて賑やかだった、僕は箪笥を1つもらった、祖父が着物をしまうのに使っていたものだ。
もう、祖父母との思い出の古民家はないけれど、記憶の片隅に生きている。
2章 暗黒期
僕の結婚生活は長く続かなかった、長女が生まれて3年で離婚が決まった。
僕の生活は荒れてしまい、飲めないお酒を飲み歩く毎日、仕事にも身が入らず父とは険悪になっていた、そこから僕の暗黒の時代6年が始まる。
そんな僕を救い出してくれたのは、祖母によく似た陽子だった。
だけど僕は怖かったのだろう、実の親でも子供を捨てるのに、他人の彼女はいずれ僕から離れていく、そう思っていた、陽子に壁を作り受け入れなかった、それでも結婚したのだがもちろん、離婚した、僕の未熟さだ。
当時、僕の心を支配していたのは、捨てられる怖さだった、自分から距離を取ることで怖さから逃げていたんだ、そんな時、親父から連絡が来た、話がしたいと。
癌だと言われた・・・・。
戻ってきて後を継いでほしい、親父が真っ直ぐ僕の目を見て言った。
迷った。
今まで育ててもらった恩義もある、だが、僕が継いでもいいのか?
兄の顔が浮かんだ、実子の兄が継ぐほうが良いのではないのか、ちょっと考えさせてと返事をして作業場に戻った。
久しぶりにお寺に行ってみた、和尚は健在で話を聞いてくれた後、禅を組めと本堂に連れて行かれた、心を無にし呼吸を整える。
寺で暮らした記憶が蘇る、心は決まった。
家に帰ると兄夫婦が帰ってきていた、親父と話している、作業場で花束をつくっているとお姉さんが跡を兄さんが継ぐと告げていった、僕はそれで良いと思った、僕の気持ちも同じだ。
お姉さんは、将来兄が跡を継ぐときのために、フラワーアレンジメント教室に通っていたそうだ、兄は大学卒業後商社に就職していた、花の経験はないがお姉さんがサポートすればなんとかなるだろう。
親父に呼ばれた、僕は後継は兄さんが良いと言った。
その時の寂しそうな父の顔が忘れられない、父は一言、そうか!と言ったまま押し黙っていたが、俺は一郎が後を継ぐのを望んでいた、そのために修行しただろう、でも、一郎の気持ちもわかる、そう言って奥の部屋に消えた。
正式に兄が次期社長に決まり、僕は1年間兄のサポートをする専務として会社に残ることとなった、父と母は経営から身を引き事実上の引退となった翌日、ヨーロッパ旅行に出掛けて行った。
創業当時から勤めていた店長の真希さんが親父と一緒に引退すると言い出したのを、僕が1年間だけサポートしてほしいとお願いして残ってもらった、いよいよ二代目体制がスタートしたのだが、順調には進まなかった。
花屋は職人集団だ、冠婚葬祭、ガーデニング、店舗販売を手掛けていて社員は7名、地域で1番大きな花屋だ。
僕は専務として裏方の仕事をして、兄夫婦が表を仕切る体制だったのだが、スタッフからの相談が僕に相次いだ、兄嫁に仕事の口出しをされたくないと言うのだ、詳しく聞いてみるとか姉さんはスタッフにアレンジや花束のダメ出しをして、指導をするようになっていたらしい、職人に素人が口出しをする、姉さんは勘違いを犯していたのだ。
教室に通っていた、資格も持っている、だから仕事もできてセンスも良いから一流とは限らないのが花屋の世界だ、趣味と仕事は違う、姉さんはそれがわかっていなかった。
スタッフは、兄夫婦をまだ認めていない。
親父が偉大なカリスマと君臨していたこともある、そして事件が起きた、スタッフ全員が退職届を出したのだ。
スタッフは家族、これが親父の考えだった、会社は家族なんだ社長であり、みんなの親父でもあった、その関係性が崩れていることに僕は忙しさのあまり気づいていなかった。
スタッフを集めて全体会議を行い、不満や考えを聞いた。
問題は社長夫婦、言い分はこうだ、私たちの師匠は先代社長だ、社長に助けてやってくれと頼まれたから会社に残ったのに、全てを否定されている、新しい体制になり自分の色を出すのはいいが的外れが多く、なんの相談もなく変えていくのはやめてほしい。
もっと信用してスタッフに任せてほしいとういう意見が多かった、2時間の会議が終わり僕は兄夫婦と話し合いをした、現場はスタッフに任し兄婦夫婦は経営に専念してほしい、気負いもあるだろうがスタッフは一流が揃っているのだからと。
1年後、スタッフはいなくなり、僕も店を離れた。
親父は亡くなり、兄夫婦は信頼を得ることができず、今は二人で小さく商いを続けている、スタッフからはなぜ一郎さんが跡を継がなかったのかと聞かれた、僕が仮に継いでいても結果は同じだったかもしれない、親父は偉大な人であった、心優しく家族思い。
僕を実子のように育ててくれて、時に厳しく、優しく包んでくれた偉大なカリスマだ、スタッフも同じ気持ちだったのだろう、母には謝った、二人が作り上げた会社をダメにしたと。
だが、母にはわかっていたようだ、祖父が亡くなった時、父は祖父の跡を継ぐと言ったそうだ、一郎に店を任し祖父との約束を守ると言ったらしいが、母が反対した。
理由は失敗するからだ、350年続くお茶農家を引き継ぐことがどれだけ難しいか、母にはわかっていたのだろう、兄が社長になった時に母は好きにしなさいと言った。
きっと、1からお店を作り直せと言うことだったのだろう、親父と母が作り上げたものを壊して作り直さないと続かないと思っていたらしいが、兄夫婦にはその能力がなかったのだ、職人としても経営者としても。
スタッフがいなくなって、僕も店を離れる時、兄が言った。
一郎に跡を任せたいと、僕は怒りに震えた、自分から後継に名乗りをあげて、店をダメにした張本人が投げ出すのか、親父と母が作り上げた城を、どんな気持ちで親父は兄貴に任せたと思ってんだ、そして俺の気持ちも踏み躙るのかと叫んでいた。
家を離れそれ以来、兄にも会ってはいない。
会社は閉めたと聞いた、僕の帰る場所がなくなった、青春時代を過ごしたよりどころを失った。
僕は喪失感で押しつぶされそうになった時、思い出したんだ、実家も祖父母の家も居心地の良い温かい家庭だった、そして古民家だった、僕も古民家で商いをし温かい家庭をつくろう、そう決めた。
続く!
